ゆうべつびと物語(2)シンガーソングライター、湧別町チューリップ応援大使 半﨑美子さん
その人の思いを受けとるように歌う
札幌出身のシンガーソングライター、半﨑美子さんの澄み切った歌声はなぜ、人の心に響くのだろうか。その歌声に人はなぜ、涙を流すのだろうか。
昨年3月、東京都二子玉川のショッピングモールで、上京中の刈田智之町長と一緒に湧別町チューリップ応援大使を務める半﨑さんのコンサートを聞いて以来、そのことが私の脳裏に刻まれた。
今回の取材で半﨑さんは「私は発信ではなく、受信の気持ちで歌っている。思いを伝えるのではなく、その人の思いを受けとるように歌っている。それは徐々に導かれるようにそうなった」と語るが、まず彼女がかみゆうべつチューリップ公園に咲く町花をイメージして作詞作曲した『春を受け継ぐチューリップ』の一節を見てみる。
雪の下で じっと根を張って
春を呼ぶ花 チューリップ
土の中で そっと息をして
あたたかな陽射しに いま芽を出す
心が湧く 希望が湧く
色とりどりの命よ 咲き誇れ
2022年5月にゆうべつチューリップフェアのコンサートに招かれ、初めて湧別町を訪れて歌声を響かせた。半﨑さんは、日本とも海外とも思えない、天国にいる感じで、あれだけの種類のチューリップがあること、あのタイミングで一斉に花を咲かせることができること、町民の皆さんとふれあったことに感動し、ステージでのトークで刈田町長にチューリップの歌をつくることを約束。翌23年1月に湧別町文化ホールさざ波のコンサートで『春を受け継ぐチューリップ』を初披露した。
開拓からつながる先人たちの思いをイメージ
半﨑さんは曲づくりにあたり、チューリップに深い愛情を注いだ先人たちからの思いを受けとることを意識したという。
チューリップ公園の歴史を振り返ってみる。
<1958年、屯田兵より拓かれた街である上湧別地区で、農家の収入を増やすため、オランダからチューリップの種球を輸入して外貨獲得の目的で栽培が開始されたが、軌道に乗ろうとした矢先、オランダの球根が世界市場で大暴落し、これをきっかけに生産農家が減っていった>
<チューリップ栽培の衰退後、深い愛着から生産農家の片隅で栽培されてきたチューリップを上湧別町老人クラブ連合会が「後世に残そう」と小規模な植付けを行ったことから農園整備が始まり、1988年に町立のチューリップ公園として正式に指定された>
半﨑さんは「厳しい冬を越え、きれいな花を咲かすチューリップの生命力。チューリップを通して、子どもたちや町民の皆さんに希望、喜び、力が湧き上げることを伝えたい。花が朽(く)ちた時に球根という種を宿して受け継がれていく。開拓からつながる先人たちの思いと力の限り今を生きる花たちをイメージして曲をつくりました」と目を輝かせた。
「ショッピングモールの歌姫」17年間下積みの日々
半﨑さんの音楽の歩みをたどると、北海道の大学1年に在学中、雷に打たれたように音楽に目覚めて中退、父親の猛反対を押し切って単身上京し、東京都駒込のパン屋に住み込みで働きながら曲をつくり続けた。上京して6年後、神奈川県海老名のショッピングモールで歌ったのをきっかけに全国各地で同じように17年間にわたって歌い続けて「ショッピングモールの歌姫」と数々のメディアで取り上げられるようになった。
半﨑さんは17年間の下積み時代、どんな風景をみていたのだろうか。
「ショッピングモールは生活に根差した場所。どんなに落ち込んでいても、買い物に来て、生きるために日々の営みをする。楽しそうにお買い物をされている様子の方が、ライブ後、サイン会に来られて、実は息子さんを亡くされたことを泣きながら打ち明けてくれた。そこから『明日へ向かう人』という曲が生まれた。みんな普通に生きていて、表では笑っているが、実は不安や孤独を抱えている。だから、その人の深いところにある思いを受けとるように歌えたらと思っています」。
自然や人との共生に“半﨑節”で想いを紡ぐ
半﨑さんの長年の夢が叶い、2024年、小学5年生の音楽の教科書(教育芸術社)に自ら作詞作曲した「地球へ」が掲載された。この曲は2005年に急性骨髄性白血病のため38歳で急逝した歌手の本田美奈子さんが闘病中に自然との共生を願って遺した散文「地球へ」をもとに構想し、制作したものだ。
3月1日に湧別高校で行われた卒業式に半﨑さんが訪れ、『春を受け継ぐチューリップ』などの曲を披露し、卒業生の門出を祝ったことがNHKで放映された。
今年のゆうべつチューリップフェア(5月19日)には半﨑さんが再び登場し、ミニライブとトークを行う。学生吹奏楽とコラボレーションすることになっており、自然や人との共生に“半﨑節”で想いを紡(つむ)ぐ。
(取材・文/ふるさと特派員 清宮 克良)