ゆうべつびと物語(5)長谷川トラストグループ会長、長谷川芳博さん=湧別高校OB、東京都在住(下)

1700店舗の「おそうじ本舗」など企業群築く

 母校である湧別高校の学生寮を私財で建設して寄贈する「長谷川トラストグループ」会長、長谷川芳博さん(69)を東京・池袋の高層ビルサンシャイン60にある本社会長室に尋ねると、眼下に大都会トウキョウの街々が広がっていた。

社内で54歳ごろ
社内で54歳ごろ

 長谷川さんは、「家族とくらしを支える」をスローガンに1997年に長谷川興産を創業し、「おそうじ本舗」1700店舗をはじめ、140カ所以上の介護サービス事業、子育て支援サービス事業として120カ所以上の保育事業などを展開し、長谷川ホールディングス(HD)を形成した。2016年9月、英大手投資ファンドCVCキャピタル・パートナーズが長谷川HDを350億円で買収したと報じられた。

 いわゆる立志伝中の人物であるが、湧別高校を卒業して数々の企業群を築いていった道のりは決して平たんではなかった。

新聞販売所で働き23歳で「起業メモ」

 長谷川さんは会長室でスマートフォンに写真で保存された23歳の時の「起業メモ」を見せてくれた。メモには「事業を起こすため最低限500万円を貯めよう」など具体的な計画がびっしりと書き込まれていた。

 長谷川さんは湧別高校を卒業後、東京に出て1年目に荒川、杉並、川崎と3つの新聞販売所を転々として住み込みで新聞配達をしながら大学進学を目指した。1年経った20歳の夏ごろ、東京・銀座の新聞販売所に移り、20歳から23歳まで4年近く生活した。

 いろいろな仲間と将来を語り合い、飲み歩くような日々を送っていた。多くの本を読みながら、自分の将来をどうしようか悩んでいた時期だった。合格した明治学院大学にちょっと通っただけで、ほとんどは行かずに中退した。

 23歳の時、「就職もできないし、したくてもまともに戦えない。それだったら自分で会社を起こすしかない」と初めて事業を真剣にやろうと決めた。そのためにはお金を貯めることが必要だと思い、新聞配達、喫茶店、レストラン、サパークラブと4つのアルバイトを掛け持ちし、月に30万円ほど稼いだ。起業するために最低限の500万円を貯めようという目標は25歳を前に達成した。

寝装寝具の製造販売で起業

 1980年、25歳で寝装寝具を製造販売するYSインター(旧名・誠屋)を設立した。当時、綿布団から羽毛布団にニーズが移っていることに着目したからだ。資本金500万で事務所は練馬区江古田に構えた。25歳で本社を池袋に移転して社員を募集して従業員は100人規模になった。寝装寝具の事業は35歳まで10年ほどやったが、30歳から35歳までの5年ぐらいは高周波・低周波治療機、化粧品、宝飾品などいろいろな商売にも挑戦した。35歳から40歳までは海外からの輸入商品やセキュリティの商材を販売する経験をした。

 長谷川さん自身、「人生と事業の捉え方が大きく変わったのは30代の雌伏の時期です。地べたにはいつくばりながら苦しい時代だった」と振り返るが、30代でさまざまな営業に挑戦することで消費者心理を捉えながら商品を売り込む方法が身についた。

“下から目線”の事業展開 40代で花開く

 そして、長谷川さんの事業は40代に花開くことになる。女性の社会進出が進み夫婦共働きの時代となり、米国のようにハウスクリーニングに需要があることを確信、41歳で長谷川興産を立ち上げ、おそうじ本舗を展開して一気に成長させた。次に超高齢化時代を見据えて介護保険制度創設を機に2002年に老人ホームの事業に乗り出した。待機児童の問題が大きくなった時、女性が子育てするためには保育所が必要だと保育事業にも参入した。長谷川さんは生活者に寄り添う“下から目線”で事業展開し、長谷川HDは拡大していった。

60歳で会社を売却 社会貢献活動を本格化

 50歳代から上場の選択肢も視野に入れていたが、「欧米では、事業を売って、次の後継者に渡して、売却した資金で慈善活動するのが成功者の証だ」と考え、60歳で長谷川HDを350億円で売却し、社会貢献活動を本格的に始めた。新しい事業を始める「長谷川トラストグループ」も設立した。

2018年10月、別荘で前列右から4番目、国内外の実業家らと懇談
2018年10月、別荘で前列右から4番目、国内外の実業家らと懇談

 公益法人地域育成財団を2020年4月に設立して毎年400人ぐらいの学生に返済不要の奨学金を出し、2021年3月に設立した一般社団法人、ハートリボン協会の会長として困窮する母子家庭をサポートする一環で子ども食堂を立ち上げ、毎週土曜日に食事提供、配布活動を行っている。また作家の井上ひさしさんの前妻、西舘好子さんと知り合い、彼女が理事長をするNPO法人「日本子守唄協会」の活動に取り組んでいる。

故郷オホーツクが原点 地元への恩返し

 一方、故郷のオホーツク海沿岸の地域活性化のため、湧別高校の学生寮のほか、隣町の遠軽高校の学生寮も私財を投じて支援し、北見市の財政ひっ迫を支援するため自己資金で基金を創設した。

 長谷川さんにとって事業展開や社会貢献活動の原点は何なのか。
 「僕の原点は、丸瀬布上武利(現在は遠軽町)で生まれ育ったことですね。人よりも動物の方が圧倒的に多い。ポツンと離れた山間部の小さな集落で肩を寄せ合って生きている。夏はいいけど、みんなで寒い冬を乗り切っていく。協力しながら生きていく大切さを教えてくれた。だから遠軽町も高校で通った湧別町も僕を育ててくれた地元に恩返ししたいと思っているわけです」。

 長谷川さんが寄贈する湧別高校の学生寮は、同高近くの老人憩の家の南側の町有地に建設される予定だ。学生寮の使用を基本としつつ、入居がない居室は一般利用も可とする計画で2026(令和8)年度4月から供用開始の予定となっている。

(取材・文/ふるさと特派員 清宮 克良)