ゆうべつびと物語(4)長谷川トラストグループ会長、長谷川芳博さん=湧別高校OB、東京都在住(上)
湧別高校学生寮を私財で寄贈
湧別高校に町外からの進学希望者を受け入れるための初めての学生寮が2026年度(令和8年度)に誕生する。この学生寮は、湧別高校の卒業生で現在東京都に在住する「長谷川トラストグループ」会長、長谷川芳博さん(69)が個人で約2億円を出資して建設し、完成後に町へ寄贈される。寮は宿泊施設としての利用も想定している。
2024年(令和6年)8月14日、長谷川さんは刈田智之町長と湧別高校学生寮の建設に関する協定を締結した。湧別高校では2024年度(令和6年度)入学生から全国募集を始めており、学生寮は全国からの学生受け入れ施設として期待されている。
学生寮建設のきっかけは、長谷川さんが2022年(令和4年)11月に東京都内で開かれた東京湧別会に出席して刈田町長と面識を得たことだった。刈田町長ら町側は長谷川さんに湧別高校の生徒数が減って一学年40人で二クラスを維持することが困難であると伝え、全国募集に踏み切ると、入学生の受け皿として学生寮は不可欠であることなどを訴えた。
山間部の丸瀬布上武利出身
なぜ、長谷川さんは私財を投じて学生寮を寄贈することに思い至ったのか。その生い立ちから振り返ってみる。
長谷川さんは1955年(昭和30年)、丸瀬布町(現遠軽町)上武利で生まれた。現在、この地区にはリゾートホテル、マウレ山荘が立地している。
長谷川家は祖父、余四郎さんが大正時代初期に富山県砺波郡(現南砺市)から丸瀬布町上武利に移住した家系だ。祖父は大工をしながら原野を切り開いていた。祖母、のぶさんは富山県の同郷だった。そして、父、義治さんは跡取りとして上武利で農業と林業を営んでいた。母、芳子さんは男ばかり4人兄弟を育てた。長谷川さんは三男として生まれた。
長谷川さんの記憶によると、生まれ育った上武利からさら登っていくと標高500メートル前後のところに太平という地名の大草原があった。そこは未開拓の地で1953年ごろから開墾が始まり、長谷川家も3年ぐらい土地を耕した。巨木を倒して、木の根っこは馬で引っ張って取る。当時の動力は馬だった。長谷川家の隣には馬小屋があった。人馬一体だ。山間部で土地自体が狭いため、あらゆる作物を植え、自給自足に近い生活だった。
中学2年で父を亡くし自立心芽生える
父は農林業で生計が立てられないと思い、上武利から遠軽町南町に移り、建設会社で働いて半年後、脳溢血で倒れ、46歳の若さで亡くなった。
長谷川さんは転校先の遠軽中学2年の10月だった。留辺蘂(現北見市)の病院で亡くなるまで1週間、病床で母が号泣する姿を見ていた。父が亡くなった時、親族が集まって「残された家族は苦労するだろう」という話を陰ながら聞いた。長谷川さんは多感な時期だった。
10月21日に父が亡くなった後、少しでも母を助けたいという思いで翌11月から牛乳配達を始めた。吹雪の中で牛乳配達をした記憶は今も鮮明だ。重たい牛乳を乗せた自転車を引っ張りながら一軒一軒配達し、その途中で犬にかまれたことをはっきりと覚えている。中学2年の11月から翌春まで牛乳配達をやった。中学3年は北海道新聞の新聞配達、学校が終わって本屋の配達もやった。
長谷川さんは中学時代に働いた経験がその後に起業する自分の礎(いしずえ)になったと言う。
アルバイトで稼ぎ、自立心が芽生えてきた。中学3年の夏休みに「東京に行ってみたい」と思い立ち、東京に行ったことがある。当時フリーパスの安いチケットで列車に飛び乗った。1週間くらい東京を見て回ってすっかり大都会に魅せられた。中学3年の秋に「東京の高校に入りたい」と何度も母に申し出たところ、「いい加減にしなさい」と猛反対された。それで東京行きは諦め、担任の勧めで湧別高校に進学した。
高校時代はラグビー部で青春を謳歌
長谷川さんは「湧別高校時代は僕の人生においては濃密3年間だった。高校時代は一番の青春だった」と懐かしむ。高校1年の時、スカウトされてラクビー部に入部した。当時、湧別高校のラグビー部は学年で7、8人いて、全体で部員は20人ぐらいだった。高校3年の時はキャプテンでスタンドオフとして活躍した。地区大会で2回戦、3回戦まで進んだ。
朝、新聞配達が終わって自宅のある遠軽町から遠軽駅発の列車で中湧別駅に向かって午前8時半からの授業を受けた。1年の夏休みにバイクの免許を取って、125CCのカワサキ製バイクで通える時は通学した。風を切って走るバイクは爽快感があって格別だった。よくサロマ湖畔の三里浜までツーリングをした。湧別高校の3年間はずっとD組で同じクラスメイトだった。クラスの結束が固く、仲間に恵まれた。
こうした青春を過ごした長谷川さんが生徒確保に困窮する母校の現状を知り、「湧別高校に関心を持つ若者たちが安心して暮らせる環境を整え、地域全体の活性化に貢献したい」と意欲を示し、学生寮を建設して寄贈することになった。
(次回「長谷川芳博さん(下)」に続く)
(取材・文/ふるさと特派員 清宮 克良)