ゆうべつびと物語(3)三井住友海上女子柔道部監督、湧別町ふるさと応援大使 上野雅恵さん

10月13日に「上野カップ2024」開催

 湧別町少年柔道大会「上野カップ2024」(湧別町・町教委主催)が10月13日、湧別総合体育館アリーナで開かれる。アテネ五輪、北京五輪女子柔道で二連覇を果たした長女、上野雅恵さん(45)、ロンドン五輪銅メダリストの二女、順恵さん(41)、世界ジュニア金メダリストの三女、巴恵さん(34)の上野三姉妹が湧別町にゆかりがある縁で2016年からスタートした大会である。道内各地より25市町34の道場・少年団の小中学生340人が湧別町を訪れ、個人戦と団体戦を繰り広げる。

 上野雅恵さんが監督を務める三井住友海上女子柔道部の道場(東京都世田谷区)で9月25日にインタビューをしたところ、開口一番、「5年ぶりに湧別町で合宿をして戻ったばかりなんですよ。秋の味覚を堪能する湧別町産業まつり(9月22日)にも参加してきました」と笑顔を見せた。

昨年の「上野カップ2023」の集合写真
昨年の「上野カップ2023」の集合写真

湧別町に2歳で引っ越し、思い出深い幼少期

 上野雅恵さんによると、雅恵さんが2歳の時、旭川市から湧別町に引っ越してきた。6年前に66歳で亡くなった父、法美(のりみ)さんは生まれも育ちも旭川市だった。仙台市の東北柔道整復師学校で資格を取り、旭川市に戻って先輩の整骨院で働きながら、柔道を本格的に習い始めた。その後、父が「田舎でやりたい」と思い立ち湧別町に移住したという。栄町の自宅兼整骨院で仕事をしながら、近くにある武道館で柔道を教えていた。週のうち、3日は湧別の武道館、2日は中湧別で指導した。母、和香子さん(68)は白滝村(現在は遠軽町)出身で、法美さんと結婚して湧別に来てから自分自身も柔道を習い始めた。育児をしながらホタテの貝むきの仕事もして忙しい日々を送っていた。

 雅恵さんの回想では、自宅兼整骨院はヒロタ美容室の隣で、近くに本間洋服店、伊藤精肉店などがあった。幼児期は精肉店で肉をスライスするのを見ていたり、青果店でバナナの値札をはがして叱られたり、父と一緒に湧別港で釣りをしたことなどが記憶にある。小学生時代は近所に友人が多く、(産業まつりが開催されたあたりの)栄町の公園で遊んだり、友達と秘密基地をつくって冒険したりもした。

湧別町の自宅前で三輪車に乗る上野雅恵さん
湧別町の自宅前で三輪車に乗る上野雅恵さん
湧別町の自宅前での上野雅恵さん
湧別町の自宅前での上野雅恵さん

父の指導のもと湧別町で柔道を始める

 雅恵さんは「湧別町は思い出がありすぎる」と懐かしむ。ただし、父の指導のもとで始めた柔道はつらい思い出が多かった。6歳の時、柔道を本格的に始めることになり、母方の祖母に髪を短くされ、ショックだったことを覚えている。父は雅恵さんが長女だったこともあり柔道だけでなく、生活全般に厳しかった。柔道は試合で負けても勝っても、いつも怒られた。ほめられたことがなかった。父からは受け身から始まり、いろいろな技を教え込まれた。「体落とし」の技を教わり、膝のけがをするまでは得意技にしていた。それでも、キャンプ好きの父の運転で家族そろっての全道各地のキャンプ場巡りは楽しいひと時だった。自宅ではコリー犬を飼っていて、キャンプも一緒だった。いつも周りに犬がいる生活だった。

柔道着姿の上野家。左から上野法美さん、和香子さん、雅恵さん、順恵さん、巴恵さん
柔道着姿の上野家。左から上野法美さん、和香子さん、雅恵さん、順恵さん、巴恵さん

名門女子柔道部で五輪二連覇達成し監督に

 小学3年まで湧別町にいて、小学4年で旭川市に引っ越した。
 旭川市に戻った後、父は柔道の指導をしながら病院のリハビリセンターや施設のデイサービスなどで働いた。雅恵さんは六合中学から父の母校である旭川南高校に進み、三井住友海上に入社し女子柔道部に所属した。人生でつらかったのは、高校を卒業し、上京してきた頃だ。北海道以外に住んだことがなかったので外国に来た感じだった。午前中は出勤し、午後は練習をする。試合で勝たなければならないプレッシャーもあった。社会人としての生活に戸惑った。それでも恵まれた才能と努力で五輪二連覇をするなど世界を代表する選手に駆け上がっていった。今は「大きなケガがなかったことがラッキーだった」と振り返る。

 8月のパリ五輪では監督として指導する三井住友海上女子柔道部の舟久保遥香選手が銅メダル、高山莉加選手が5位に入賞した。高山選手は男女混合団体戦で銀メダル獲得にも貢献した。

 競技者として一区切りした後、母から「資格があったほうがいい」と言われたこともあり、犬専門のトリミングサロン(ペットサロン)を経営したいと思い、専門学校に2年通って資格をとった。犬のいる生活は癒される。メインは女子柔道部の監督だが、セカンドキャリアとして東京都東久留米市にトリミングサロンを持つ。

「上野カップ2023」で左から上野雅恵さん、順恵さん、巴恵さん、舟久保遥香選手
「上野カップ2023」で左から上野雅恵さん、順恵さん、巴恵さん、舟久保遥香選手

地域の活性化と柔道の普及に熱意

 二女の順恵さんは湧別町で生まれた。ひょろひょろの体形だった。湧別町の武道館で練習中に膝を脱臼し、父の手当てで回復した。試合に出ても勝てなかったが、中学生になってからめきめきと強くなった。姉の雅恵さんと同じく旭川南高校から三井住友海上女子柔道部に入り、世界を舞台に活躍した。現在は同柔道部で雅恵監督のもとコーチをしている。
 三女の巴恵さんは旭川市に戻ってから生まれた。母は巴恵さんを身ごもっていた時、流行っていた酢大豆を食べたり、生まれる前から“英才教育”を施されていた。柔道以外でも、球技やスキーなどいろいろなスポーツをした。ボーイスカウトにも入って活動していた。旭川南高校から三井住友海上女子柔道部を経て海上自衛隊に所属した。巴恵さんは現在、北海道当麻町にある母の道場で指導にあたっている。

妹の順恵さんを抱く柔道着姿の上野雅恵さん
妹の順恵さんを抱く柔道着姿の上野雅恵さん
湧別町の自宅で左から上野雅恵さん、妹の順恵さん
湧別町の自宅で左から上野雅恵さん、妹の順恵さん

 上野カップは、上野三姉妹湧別後援会を母体に、柔道製品を扱う「デフィール」(本社・札幌市)の須貝等社長が「世界で活躍した三姉妹がいるのだから冠大会を開催するべきだ」との発案からスタートした。同後援会は湧別町在住時の近所の方々が中心となって立ち上がり、現役時代から今に至るまで応援してくれる有り難い存在だ。

 湧別町ふるさと応援大使である雅恵さんは「上野カップは思い出の地、湧別町で開催される特別な大会。地域の活性化と柔道の普及のために頑張りたい。湧別町は私が大好きなホタテ、カキの産地であり、日本のみならず世界に誇れる名産品だ。柔道は小中学生の心身を鍛えてくれる。上野カップを通じて柔道の魅力をもっと発信していきたい」と上野カップに向けて抱負を語った。

(取材・文/ふるさと特派員 清宮 克良)