ゆうべつ@サッポロ/つらら(下)塩

つららの塩

 商品棚に並ぶ「オホーツクの塩」「こんぶ焼塩」「おにぎりの塩」。いずれも湧別町の「株式会社つらら」の塩です。札幌の店でこの3品が仲良く並ぶのを見たのは初めてでした。
 ここはJR札幌駅西改札口の斜め向かいにある道産品のアンテナショップ「北海道どさんこプラザ札幌店」。前回紹介した「オホーツクの塩ラーメン」も扱っています。
 「つらら」を設立したのは、「みなみかわ製麺」社長でもある南川保則さん(70)。2000年のことでした。なぜ塩づくりを始めたのか。キーワードは「味噌」でした。

 話は今から110年前の1914(大正3)年にさかのぼります。その5年前に三重県から現在の遠軽町丸瀬布武利に入植し、農業に従事していた南川さんの曽祖父吉太郎さんと祖父保一さんが、湧別町に移って始めたのが味噌醤油醸造でした。「ホシマルキチ」のブランドを覚えている人もいるでしょう。郷里の家のそばに工場があったといい、「醸造方法を知っていたので、一念発起したのでしょう」と南川さん。

 父秀光さんは、保一さんが戦後建てた劇場「湧楽座」などを受け継いで分家した後、「みなみかわ製麺」を設立して製麺業に乗り出したので、醸造事業には直接タッチしていませんでした。しかし、秀光さんの急死で89年に製麺会社を継いだ南川さんは90年代後半、後継者がおらず、老朽化して敷地内に残されていた本家の醸造所の取り壊しを迫られます。そんなとき建物の奥で見つけたのが30個の大きな木樽。一部に味噌も残っていたそうです。

 「すごい樽。これを生かさないのは申し訳ない」と、祖父らが心血を注いだ味噌づくりを受け継ぎ、再開することを決意。同時に「オール北海道産で付加価値をつける」と決めた。だが、大豆と米(麹)はあるけれど、塩がない。「なければ自分でつくればいい」と試行錯誤で始めたのが塩づくりでした。戦中戦後の塩不足の折、保一さんら沿岸の人々がオホーツクの海水で塩をつくっていたことも、自らつくろうという思いを後押ししました。

 ちょっと話はそれますが、社名の「つらら」は流氷が押し寄せる土地柄の「寒い」「冷たい」をイメージさせるツララ(氷柱)から、と勝手に考えていましたが、会社のホームページを見てびっくり。ご存じの方も多いでしょうが、社名の由来は愛犬だったのです。

愛犬つらら

 南川さんは役者を目指して大学進学を機に上京しましたが、夢かなわずに失意のまま帰郷したのが30歳目前。「夢も希望もなく、自分にとって最悪の時代」の80年代半ばに出あったのが、街なかをさまよっていた雌犬でした。「かわいい名前」と思っていた、畑正憲さんの「ムツゴロウ動物王国」で飼われていた「ツララ」からもらって「つらら」と名付けた。絶えずそばを離れず付いて回っていたが、ある日、車にひかれて瀕死となった。それでも見事に復活し、傷めた前足を引きずりながら再び後を追うようになった。会社設立前年の99年に14歳で死ぬまで南川さんに寄り添い、「本当に支えてくれた」といいます。

 まるでドラマのような話を紡いだ愛犬の名を継ぐ「つらら」がつくるオホーツクの塩は、その名の通りオホーツクの海水が流れ込むサロマ湖でくみ上げた海水を丸3日かけて煮詰め、とり出した塩をじっくりと焼き込んでつくります。年産60トン。自社のみならず、様々な食品メーカーで使われ、生活協同組合コープさっぽろのプライベートブランド商品のポテトチップスにも使われているそうです。会社の店舗やネットショップ「つららSHOPシバレ」でも塩やラーメンを扱っています。

 愛犬の話には続きがあって、つららが死んで間もなく、橋のたもとに捨てられていた雄の子犬を飼い始めました。21歳まで生き、つらら亡き後の南川さん慰めてくれたといい、感謝を込めて店名に。そう、この子犬の名前は「シバレ」でした。

 南川さんは2年前に建立した「南川味噌醤油醸造創業の地」の記念碑の周りなど敷地内に梅の木を植えています。目指すのは、オホーツクの塩を使った梅干しづくり。試作したところ、「びっくりするくらいうまい」と評判が良かったそう。南川さんの曽祖父は三重県員弁(いなべ)郡梅戸井村(現いなべ市)から入植した。「梅に縁がある気がして。10年がかりの仕事でしょうが、うちでしかできない100%地元産の梅干し。どう、食べてみたいでしょう」と聞かれ、「食べてみたいです」と即座に答えました。

(取材・文/ふるさと特派員 島田賢一郎)

※つららの塩は、コープさっぽろの広報誌「Cho-co-tto」(ちょこっと)の今年4月号で、「奇跡の塩」として紹介されました。WEB版は同生協ホームページのバックナンバーサイトで閲覧できます。

つららの塩が紹介されたコープさっぽろの広報誌「cho-co-tto」